今日は妻が仕事を休んで豚児豚二を看てくれるというので、
僕は出勤することにした。
助かった。
繁忙期のいま、二日続けて欠勤することは自ら破滅の途を選ぶのと
同然である。
お陰で豚児豚二の体調も回復傾向に舵を切ったようだ。
フェールオーバー(冗長化)という概念があるが、
これはシステムを二重(多重)構造にしておき、どっちかが壊れても
どっちかが動き続けてシステムを維持する。というものである。
これはフォールトトレランスと呼ばれる、
リスクマネジメントの考え方であるが
以前に僕が
「夫婦は二人三脚ではダメ(どっちかが転ぶと両方とも転ぶから)」
と指摘したのもフェールオーバーの考え方に基づいている。
もちろん、フェールオーバーというのは機械とか、パソコンとかの
システム設計に用いられる用語であるが、
人生設計においてフェールオーバーは実現できないものだろうか?
一つには、往年の大漫画家、藤子不二雄氏の名作
これはパーマンに変身している間、人間としての役割を喪わないよう
人間機能をコピーロボットに代替させるというものである。
代替できなかったように思うので不完全な冗長化だが、
コピーロボット的な存在が、というかコピーロボットそのものがあれば
僕が抱える諸問題もたちどころに解決するのであるが。
明日は保育園に行けるだろうか。