RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

人間の条件

地元の中学生が「職業体験」学習で

弊社を訪れて二日目。

最もヒマな僕が彼らに仕事の指示をしたりしているのだが、

所詮一般職なので出来ることは限られている。

僕が総合職だったらプレゼンの真似をさせたり

営業に同行させたりいわゆる「商社」の仕事を体験させてやれたが

結局昨日は販促イベントの準備と撤収。という

つまらない仕事しか割り振れなかった。

「二日間、こんな仕事ばっかで、つまらんかっただろ。正直に言いな。」

「いえそんなことないです」

「無理しなくていいよ。

椅子50脚運んで椅子50脚しまう仕事を、誰が喜々としてやるもんか」

「そうですけど・・・」

「まあ、来週君らも中学校に成果を報告せなアカンと思うけど、

つまらんかったら正直に『つまらんかった』と書けばいいと思うよ。

華やかに見える商社には、実はこんなつまらん仕事もあった。

というのも一つの発見だし、そればっかりやってる一般職の人間もいる、

というのも一つの発見だ。オレらはそれでおカネを貰っている。

『つまらん、二度とやりたくない』と思うのか、

『つまらん、まあこの程度なら我慢できるけど』と思うのか、

それは君らの自由だし、前者ならば華々しい総合職たるべき

スキルを身につけなければならないし、

後者ならばどうぞオレらの世界にウェルカムだ。

仮に大卒で社会に出るまでまだ8年もあるんだから、

その間に考えたらいいさ。

君らはそのことにまだ中二の今日、気づいたんだから十分、

意義があったんじゃないか?

まあ、勘違いしないでほしいのは、

『働くことで自己実現する』という、一見耳触りの良い言葉で飾られた

労働観だけれども、誰が椅子運びで自己実現をするんだよ。

マルクスの『労働』概念はいやに聖化、絶対化されているけれど

オレは違和感を覚えるね。

まだ、フーコーのいうようなオートメーション社会の方がしっくりくる。

要は、市民的自由を実現するには結局、権力への服従強制も

もれなくセットでついてくるってことだ。

労働に価値が置かれるようになったのは私的所有権を正当化した

ロック以降の話だし、禁欲的に働くことが美化される、

そんなイデオロギーが浸透した社会って実は近代になってからだろ?

だから、 『何のために働くのか』と誰かに聞かれたら、

迷わず『お金のため』と答えるのが正しい近代的市民の態度さ。

ただ、アーレントがいうように、労働、仕事は人間の必要条件だ。

私的な領域から公的な領域に顔を出すには、

市民として生きて行くには、働くしか、ない。」

中学生の

一人は「鳩が豆鉄砲を食ったような」顔をしていた。

一人は眉間に皺を寄せていた。

一人は意味有り気にニヤり。と微笑んだ。

まあ、しかし、もう少しマシな仕事を与えてやれなかったものか、

少し反省もしている。