RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

個人的デザイン論

アイパッドさんがウチに来て一週間が経った。

噂に聞くその斬新な操作性は一時で僕らを魅了、

凄い奴だと感心している。

凄いのは

その性能は勿論のこと、

その性能を内包してなお、その高性能を奥ゆかしく秘めた

その洗練されたデザインである。

つるんとした鏡面仕上げのディスプレイ、

緩やかにアールを描き端で結合する薄い筐体、

深い黒とシニカルな銀。

表面にはボタンが一つだけという

極限のストイックさ。

アイパッド以前には全くこのようなタブレット端末は存在しなかったが、

アイパッド発売後数々のフォロワーが出てきたことも分かるように、

ことデザイン面での革命を起こしたことについてこれは誰も異論がないだろう。

さすがアップルである。

ところで、時間もそれなりの元気もあるので

個人的なデザイン論をメモしておきたいんだけれども、

僕なんかが称揚しなくても十二分に

世間一般にはアップル社の優れたデザイン性が認知されている。

僕が改めて評価したいのはアイパッドと真逆の、

ゴテゴテした、押しつけがましい、

洗練してないデザインのプロダクツである。

例えば以下の写真の自転車、これはどうだろう。

画像

これは僕より5~10歳年上の、1970年代生まれの人にとっては

特別なノスタルジーがあると思うんだけれども、

「フラッシャー付き自転車」という

日本のチャリ史上最も豪華な装備をもった自転車なのである。

これが凄い。

自動車のように、ウインカーが実装されている(電池で駆動)。

前面には2基のライト、

スピードメーターが内蔵され、中にはAMラジオまで搭載しているものもあった。

アチェンジはシフトレバーを用い、

カゴは前面だけでなくサイドにも取り付けられている。

恐らく、かなり重い。

恐らく。というのは終ぞ僕がこれを手にすることはなかったからで、

幼少期に小学校高学年の兄ちゃんたちが乗り回すフラッシャー付き自転車に

憧れ、いずれは僕も。と当たり前のように思っていたけれども

これらは僕が自転車適齢期に至る前に販売を終了、

第二次ベビーブーマーの彼らが最後のフラッシャー世代になったのである。

だから、憧れつつ結局乗ることのできなかった僕にとっても憧憬の眼差しで

見てしまうアイテムの一つであり、

大人になってからも何度か売ってないかネットオークション等で探したが

時代の古さもあって素人が手を出せるような価格&状態では販売されておらず、

入手を諦めて今に至る。

僕はいまフラッシャー付き自転車が手に入るなら

本気で通勤に使おうと思うがいかがだろうか。

カッコよすぎて会社の人たちは鼻血が出るに違いない。

・・・が、僕はこのデザインを本気でカッコいいと思うのだが、

アイパッド的な洗練された世紀である21世紀に

果たして商品化されたとしてもまず成功の見込みはないだろう。

昔あったバターケーキのくどさのような、

デザインの重たさ、過剰さ、洗練されて無さ。

フラッシャー付き自転車に限らず、70年代から80年代にかけては

スーパーカーブームなど、

欲望を具象化したデザインの過剰さが一つの時代の潮流だったと思うけれども、

幼い僕はその表面的な欲望に従い、単純に憧れていた。

でもバブルが弾けたらへんから急にクルマのデザインも大人しくなったりして、

つまらなくなった。

正確に言えば、欲望は無くなったのではなく形を変えて内に隠れた、という方が

正しいだろうか、

デザインは大人しくなっても秘められた性能は前の時代を

遙かに凌駕するものばかりで、

そうなると比較して大した性能も持ち合わせていない割に

見た目だけ派手なプロダクツが急に嘘くさく見えてくるのである。

イージス艦はパッと見、小さいしシンプルな外見だし

それほど強くなさそうだけれども

メチャクチャ火器を搭載した戦艦大和よりは多分、というか絶対に強い。

無論、フラッシャー付き自転車よりも

現代のママチャリの方が自転車本来の性能は恐らく上である。

ただ、人にも物にも奥ゆかしさを求め、欲望を隠蔽する時代にあって、

欲望を遠慮なく過剰に主張し表現するプロダクトデザインがあっても

いいのではないだろうか。と思う。

今やそういうのはテレビのリモコンくらいになってしまった。

しかし、いずれテレビリモコンもいまみたいなボタンびっしりでなく、

アイフォーン的につるんとしたやつになるんではないだろうか。

というのは僕の勝手な予測である。

アイパッドのインターフェースは確かに優れているが、

それはあくまでも

「こんなシンプルなのに」いろいろできる。といった

一定の留保があるからであり、

一見しての分かりやすさで言えば絶対、

フラッシャー付き自転車の方が上なのである。

「この自転車は曲がるときにウィンカーを光らせられるんだな」

そのデザインからぷんぷんする過剰な説明臭さ、

出来ることは見た目通り、それ以上でなければそれ以下でもない。

でも思春期の少年少女のようなヘンに斜に構えたところのない、

素朴な押しの強さ、友達だったら「ウザい」奴かもしれないが

でも憎めないような、そんなデザインが僕は好きだ。