RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

AKB48について少しは詳しくなった

ウチの会社は小中学校の冬休みと同じ時期に

まとまって業務を停止する。つまり冬休みだ。

今日まで冬休みだったがその間

僕は誰もいないオフィスで悠々と仕事をしていた。

冬休みのあいだ皆勤を通したのは全社員中僕だけで、

貧乏ヒマなしというのがこれほどあてはまる人間もいまい。

家に帰れば豚児の世話。

最近はAKB48のビデオを見せておけば

割と大人しいのでその一瞬は楽であるが、

豚児のリクエストで自宅で車中でお風呂の中で

ずっとAKB48の曲が流れているため、

僕もさすがに何曲かは諳んじることができるようになった。

また、

「左の人が大和田さんだな」

「蛇塚さんはダンスがうまいなあ」

と、メンバーの人たちも何人かは判別できるようになった。

「とんじもエーケービーにはいれるかなあ」

「頑張れば入れるよ」

と、

豚児は2万%無理なことを言ったりして、

僕は5万%無責任な返事をしたりするが

こんな場末の3歳児にまで夢を与えるアイドルというのは

偉いなあ。と感心している。

ただ、こうヘビーローテーションしていると

「その気」になってくるもので、

豚児にも歌や踊りを習わせてみようかな。とか

詮無いことを考えてみたりもする。

まさか、芸能界を目指す。とかそんな

酔狂な空想ではないが、

有り体に言えば豚児が周囲に如何に人気を獲得するかの話であって、

無芸大食そのものの僕なんかは幼少より

現在に至るまで誰からもちやほやされることがなかったけれども

その轍を踏ませたくないというのはまっとうな親心だろう。

豚児もエーケービーの人たちみたいに

キュートに歌い踊ることができたら

本人の自信にもなるだろうし、人気者の仲間入りができる…

かもしれない。

学習指導要領改訂のせいか

以前ほど聴かれなくなった

「生きる力」

という言葉があるが、

これは結局

明確な定義づけが困難な、曖昧な言葉でもあった。

僕自身若干教育現場に関わっていたこともあって、

「生きる力」という言葉はたびたび耳にすることがあった。

言葉自体の持つ直截的なイメージとは、

例えば「飢餓をどう耐え忍ぶか」みたいな

ファイト―。いっぱつー。的な発想、

あるいはヒモの結び方みたいなボーイスカウト的なスキル…

だと思うのだけれども、

学校現場の文脈では、

「いかにうまいこと世間様とやっていくか」みたいな

処世術みたいな感じで扱われることが多かったように思う。

処世術というとなんか小狡い印象を受けるが、

要は社会の中に自分をどう当て込んでいくか。という作業のことで、

アイドルの人みたく自らの技能をもって積極的に社会に

コミットメントしていくのは「生きる力」の典型だし、

僕みたくリスクを避け、僻みつつちまちましぶとく生きていくというのも

一つの「生きる力」とも言える。

結果としてそれが自立(経済的な意味に限定せず、

精神的、社会的に)につながるならば「生きる力」を獲得したと

見なせると思うのだけれども、

やっぱり僕みたいな消極的なスタンスではなく

豚児には主体的に社会と向き合って欲しいと思うし、

そのために必要なスキルを与えてやりたいと思う。

ルックスは残念ながら与えてやれなかった。分、

代わりに何が出来るだろうか。