僕の記憶する限りでは
お盆に畏友と気炎を上げて以来、
「夜に出歩く」ということを
本当に全くしていないのだけれども、
今日ばかりは妻に頼み込んで夕刻、
家を出た。
目的地は上京区の山奥、
京都精華大学である。
町田康さんがゲストで講演されるのである。
これは行かねばならん。
地下鉄とスクールバスに揺られて一時間。
なんとか前から二列目の席を確保したが、
すぐに大教室は満員御礼になった。
さすが人気作家だけのことはある。
学生に混じって30のおっさんが恥ずかしいが、
ファン歴は長い方のはずだ。
さて、今日の講演会では
僕の小説の読み方を一変させる、
強烈なパンチを喰らった。
印象に残ったエッセンスは、
①技術として純化するのではなく
あえて雑多な要素を残すことで種としての強靱さを担保する
②世間から蔑ろにされている人間を描くことが
人間性の回復を図ることにつながる
③他人ではなく自分を問う
…というもので(僕の乱暴なまとめだけれど)、
僕は町田小説の神髄をここに見た気がした。
訳の分からない人が出てくるけれども
その訳の分からないもので溢れているのが現実だし、
「気持ち悪い」の一言で
都合の悪いもの一切を捨象する僕らは
果たして不寛容だし、
そのことが人間性を細らせていることに気づかされた。
僕は、小説を読むことは
自分が生きたかもしれないある一生を
主人公の経験を通して代理経験することだと思うのだけれども、
町田さんの作品の主人公はまさに、
自分が生きたかもしれない人たちであるし
あるいは自分じゃないけれども
近くにいる誰かかもしれない。
覚えているうちに考えたことをメモしておきたいが
もう寝なければならない。
僕がこうやって家を空けたら
豚児が熱を出した。
僕が家を空けるとやっぱりどこかおかしくなる。
来週の忘年会、楽しみなのに大丈夫だろうか。
明朝には熱が下がっていますように!