RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

ロマンシングトレイン 都市と景観と多賀SLパークに眠る鉄道廃墟と

画像

滋賀県は東京や愛知といった大都市圏を除いては

一番の人口増加県で、じゃあ廃れゆく地方にあって

滋賀県は成長過程の真っ最中、というとそうでもなく、

県南部に人口増は集中しているのであって

それ以外は普通に高齢化・過疎化が進んでいるのである。

たまにしか訪れない滋賀県だけれども

訪れるたびに

あるはずだったものがなくなっていたり、

なくなっていなくても役目を終えて眠りに就いていたり、

まだ生きていても痛みが激しくて滅びを予感させたり、

建物なんだけれどもそんなのばかりが目につく。

もちろん、昨日アップしたような

新しくて元気な建物もあるんだけれども、

滅びと誕生の割合が歪で、

都市の新陳代謝が次第に失われていることを

僕は実感するのである。

これは不景気とかではなく、

単に、そこに住んでいる・そこを訪れる

「人が減っている」

からかもしれない。

商業施設にしろ娯楽施設にしろ、

必要とする人が少なければ

数も減るのも必定。

100年単位の長いスパンだけれども、

この都市は消滅に向かってゆっくりと寂れていく。

というのを僕は八号線をドライブしながら考えていたのである。

でも僕は、

住むならもちろん

がんがん活気のある街がいいけれども、

なんていうか、

みんなから忘れられ、

緩やかに終焉を迎えようとする街にも、

ある種の愛おしさみたいなものを感じるね。

失礼だけれども、

岐阜駅に降り立った時とか、

敦賀市のアーケードを歩いた時にも

同じような感情を抱いた。

昔がんがんだったころの名残とか、

そういう記憶を留めている街に気づいたとき

なぜか懐かしさのようなものを感じるのはなぜだろう?

僕はまだ30歳だし、

がんがんだった頃のことは知らないのだけれども。

冒頭の写真は、

みんなから忘れられ、山あいにうち捨てられた

SL、D51。

多賀町にSLパークというちょっとした

ドライブイン(うーん70年代的な響き)があって、

SLの客車で食事などができたのである。

僕も幼い頃に一度(覚えている他にもあるかもしれないが)

連れてきてもらったことを覚えている。

でも僕が小学校に上がる頃には廃業しただろうか、

その後は建物そのままに放置され、

だいぶ経ってから客車とかが取り壊された。

けど、機関車だけはいまも荒れた敷地にひっそりと

眠っているのである。

なぜ機関車だけ残してあるのかは分からない。

機関車の周りに日差しを遮るように

木々が残されているのは、そのとき工事した人たちの

優しさだろうか。

SLパークにまつわる個人的な思い出は殆どないけれど、

この機関車を見ると、

恐らく機関車が隠し持っている記憶に触れるのか、

がんがんだった頃の人たちの楽しい思い出が

センチメンタルに甦って(実際には想像だが)くるのである。

僕には朽ちていくこの機関車がなぜだか無性に愛おしく思える。

このまま安らかに眠りについてほしいと願うばかりである。