RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

開かれた心

病院の待ち時間でぼんやり何気なく観ていたテレビ番組で、

上海万博の特集をしていました。

その中で、中国の田舎からやってきた母子の道中をVTRで紹介していて、

これはまあ明らかに田舎モンの無知を小馬鹿にするようなスタンスの映像で、

僕もそのつもりになって観ていたんですが…。

VTRが終わって、まあよく取り沙汰されている

混雑であるとか運営上の問題点みたいなものが

「いろいろ大変だねアハハ」みたいな結論で締めくくられたのですが、

僕は見終わってちょっと爽やかな感動というか、

場違いな好感を持ったのがこの母親。

母親は二歳の息子を連れて二人で何百キロという旅を

電車バスいろいろ乗り継いで田舎から上海へ。

予習もなんもなく行き当たりばったりで会場に到着。

気温30℃の中、めちゃめちゃ混雑しているし

どこに何があるかも分からず子連れで何時間も歩き回って

結局3つのパビリオン(失礼ですがあまり人気のない)を

巡っただけの旅行でした。

VTRでは母親のそんな計画性の無さというのが一つ、

嘲笑の要素になっていたのですが。

でも、僕がその母親に対する見方を改めたのは終盤、

田舎の祖母に土産話をするくだり。

正直、徒労感だけが残る残念な旅行にしか傍目には見えなかったのですが、

~で○○をした、××なものがあった、と祖母に

無邪気に、嬉しそうに喋っている光景。

それを観て、

きっとこの人は欲のない、素直な人なんだろうなあと思いました。

思えば、

僕なんかはこの人に比べたら猜疑心と損得勘定に凝り固まりまくっているわけで、

「~しないと損だ」

「~ねばならない」

「~であるべき」みたいな思考が強すぎて

「人気パビリオンを回らないと損だ」

「効率的に回らねばならない」

「旅行は快適であるべき」

といった枠を自ら設定してしまうことがかえって行動を不自由にさせてしまう。

ことに気づいたのでした。だからオレ出不精なのか。

この母親は非効率で、汗だくになりながらしょうもないパビリオンしか

回れない旅行でしたが、

それと旅行そのものの価値とは別次元なのでした。

きっと、この旅はいつまでも美しい思い出であることでしょう。

僕なんかはつい「おもんなかった」「つまんなかった」等と

口にしてしまうことがあって反省しているのですが、

自分で勝手にイメージを設けておいて、

そこから減点法で結果を評価していくのは

なんとも浅ましいことかもしれません。

「せっかくUSJに来たのに3つしかアトラクションに入れんかったー」

みたいな。

「楽しくあらねばならない」みたいな思考の呪縛から解き放たれたら、

たぶんいろんなものがもっと楽しくなるだろうし、

「こうするべきだ」みたいな行動のパターン化から逃れることが出来たら、

「避けるべきだ」と思っていた、

きっといろんな楽しいことを発見できると思う。

待ち時間にそんなことを考えていました。