dividualism「分人主義」 平野啓一郎
ファンが昂じて今や平野啓一郎さんの追っかけみたいなことをしているんだけれども、
今夏発表の『ドーン』で提唱されたdividualism「分人主義」は、
僕にとって非常に示唆を与える発想でした。
前にも書いたので引用で済ませますが、
朝日新聞のサイトより
「分人(dividual)」とは、状況や相手により異なる「自分」になるという概念。
「キャラの使い分け」とは違う。
「その場限りの仮面」の裏に「本当の自分」があるわけではないからだ。
「多重人格」とも異なり、相手と協同して「自分」が成り立つ」
…というのが概要です。
ラジオ版「学問のススメ」http://www.jfn.co.jp/susume/
という番組で放送された平野氏へのインタビューにももちろん
この「分人主義」への言及があって、
僕はそのなかでも印象に残ったのが、
「恋をしているというのは、ただ相手を好きになるというだけでなく、
相手を好きになっている自分を好き」という状態…みたいな例を述べられたところでした。
自己をどのように肯定するか…という文脈のなかで出てきた話なのですが、
いままでの個人individualだと、一個人の全肯定あるいは全否定、という
極端な自己肯定・否定に陥るのであって、
例えばリストカットは個人の一個性の象徴である身体を傷つけることによって
個人そのものを否定する、みたいなところに逢着する。
という話はそうか!と一つ靄が晴れたような話だったのですが、
僕も支持する「分人主義」は、個人は一個ではなくいろいろな異なる「自分」から
構成されているものであり、その中には当然好きな自分、嫌いな自分があるし、
でもやっぱ「好きな自分」の割合が多い方がいいよなあ。ということです。
だから、傍目には凡庸な男に見えてもその女の子にとっては、
彼といる時の自分が好きだからこそ、そういう自分を肯定できる。
とかく「誰々は○○だ」あるいは「自分は○○だ」
みたいに決めつけ決めつけられがちな現代に、あえて
「分人主義」を提唱することに意義は大きいと思うのです。
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20091002/1254456074
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20091002