RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

『葬送』の感想

何度もその素晴らしさを繰り返して止まないのだけれども、 『葬送』(平野啓一郎著)の感想をちょっとでも書きたいね。 この作品は長いだけあって登場人物が何十人もいます。 主人公のショパンドラクロワジョルジュ・サンドのほかにも その友人とかがたくさんいて相関関係を整理するのが大変。 ドラクロワに「描出不可能」との溜息を吐かせた美貌の持ち主、 チャルトリスカ大公妃という女性は陰のある人物たちの中で珍しく 完璧なまでに完璧な人物として描かれますが、 僕が感動したのはこの文↓ 「彼には彼女の美しさは、単に彼女独りのものではなく 失われた祖国の美しさそのもののように貴く感ぜられた。 その聡明さも、気品も、慎ましさも、すべてがポーランドであった。 その国民の裡に宿る最も精妙な美徳の結晶であった」 これを読んでも分かるとおり、全編に亘って 緻密すぎる程の描写と、洗練された修飾が鏤められており、 なかなか頁を進めることができませんでした。 作品中で、白眉だった部分はやはりショパンのパリでの 一度きりの演奏会のシーンで、 ここまで音楽を文学で表現できるのか。と感嘆せずにはいられませんでした。 たぶんここの場面は文学史に残ります。 「それはまた、泉の水面が底から湧き上がる水の勢いに動揺し、 絶えず新しい波紋を開いてゆく様にも似て、見るものに彼を訪れる霊感と それに導かれて奔出する彼の表現との神秘的な交感を想像させる。 時折開かれる瞼の奥には、 彼方へと昇りゆく音の行方を無限に見届けようとするかのような眼差がある」 演奏しているショパンの姿を写し取っただけでこれだけの表現。 そこから放たれる音楽についての描写は、楽典の知識を持ち合わせない僕には まるで宇宙の世界でしたが、 「冒頭に半音階で下降する三連符を幾重にも配置した第一主題がピアノによって 奏でられると、径ちにそれがチェロによって反復され、そのまま両者が複雑に 絡みながら次第に昂揚し、イタリアの歌手の巧みな息継ぎにも似たピアノの休符の 後に今度はチェロによって最初に提示される第二主題へと引き継がれる」 ……楽曲の小節一つにも欠かされない精緻な分析に、 まるで作者は音楽家なのかと誤解しそうなくらいですが、 やはり作家であると確信をもつのは、 「貴族の令嬢たちでさえ、イ長調から嬰ヘ短調へと転調され、 低音部の流麗なスラーに乗せて勇壮に奏でられた数小節中の二回強烈に鳴り響く 嬰へ音には、まるで霹靂に打たれたかのように奮い立てられ、彼の 悲運の故国の独立について漠然と考えを巡らせるのであった」 と、文学者らしい主題への迫り方を随所にするところです。 平野啓一郎さんの新作(書き下ろし)が夏頃に出版されるという話ですが、 僕は早くもそれが待ち遠しくてなりません。
月光浴—ハイチ短篇集 (文学の冒険シリーズ)
国書刊行会
フランケチエンヌ

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月光浴★ステキな本ち ...

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