いつもはN君から直接聞くんだけれども、
今回は又聞きのネタを勝手に使わせてもらう。すまんね。
N君の上司(総務課の係長)に僕は興味を惹かれてやまないのだけれども、
先日。
彼の勤める銀行で、人事課の人からヒアリングというか、
内定ギリとかも喧しい昨今、我が行も人材登用にはより慎重かつ戦略的にならねばならん。との
ことで、行内でそのためのいろいろ会議やらなんやら催されているそうです。
で、その場で発言したのが件の係長。
「僕もそれについてはね、あーいくつか意見があるんだけれども、
やっぱりね、新しい人材を採用するとか以前の問題でね、既存の人材をどう生かすか、
ていうことをまず考えねばならんと思うんだ。特に若手とほざく連中ね。
はっきり言って、最近の若いモンは基本がなっとらん。
そー要は行内でね、もっとその、新人に対する教育とか、そんなんをもっと充実していくのが
最優先なんじゃないかね。学校出て、銀行のギの字も知らん常識の無い彼らに、
常識を教えなアカン。ま、僕は中途採用やったから」
・・・ていうエピソードを僕は他の知り合いから聞いたのですが、
彼によると、なんとその場にはN君も同席していたようで、つまり
「最近の若いモン」とはN君らを、とりわけN君を指すのでありこれはヒドい。
N君はその場で、「銀行のギは正義のギじゃなくて偽善と欺瞞のギだ」と
怒りに打ち震えていたそうです。
僕はまたしてもN君の境遇にいたく同情してしまったのですが、
僕が興味を持ったのは無礼極まりない一連の意見表明ではなく、
ラストの、「(係長が)中途採用やったから」と嘯いた一言でした。
これは文脈から類推するに、「中途採用やったから(常識は弁えていた)」との
言明なのであり、つまり係長は自分が全き常識人であると自負してやまないのです。
僕はこれについて経験上、いたく自分を追い込む発言であるということをよく知っているのですが、
どういうことかというと、人々が無意識に口にする「常識」なるものは果たして、
一見実体があるようで実はそうではなく、その範囲とか質はみんなぼんやりとでしか
共有していないのではあるまいか?ということで、
この場合、銀行マンの常識として「為替レートの計算方法」はたぶん10人中10人が
手を挙げるでしょうが、「EUの通貨統合の歴史」とかになると常識とすべきかどうか
微妙なところです。
「12月のイラストはカボチャだ」と断じて譲らない係長が常識人なのかどうかは
別に議論されるとして、彼はその意見に疑問を呈する人全てに自分の常識を
守るための戦いをせねばならず、僕はそういう血なまぐさい毎日は送りたくないなあ。
としみじみ思ったのでした。