RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

グローバル化のイロニー

昨日、「リンカーン」ていう番組が何気なく目に留まって

夜10時に寝る私が珍しくそれを過ぎてそのまま観てたんだけれども、

非常に興味を惹く内容でした。

この日は「をたく」の人たちの生態というか、

彼らが「ヲタ芸」で頂点を目指す過程を笑いのネタにするものだったのですが、

極端な描写がなかなか滑稽にできていました。

その「をたく」の描き方はまあ、ステレオタイプだけれども故に純然たるインパクトがあり、

その絵面の強烈さに笑い転げていたのですが・・・

番組という作り物であることを差し引いてもそれなりにモデルがあるわけで、

実際の「をたく」の人たちの中にはこんな生活を送っている人も多いのでしょう。

一般的な感想はさておき、私はこの光景を―

―この「をたく」の人らが、およそ非生産的でお金にもならないし、女の子にもモテない、

退廃的な行為に没頭できることに― ちょっとした羨望の眼差しで観てしまいました。

別に「ヲタ芸」がやりたいと思ったわけではありませんが、

他人の目、損得勘定一切抜きで自分の「やりたいこと」に没入できるというのは

羨ましいことです。私にはできません。

さらには、そんな行為をする仲間が他にもいるということ。

一人でもできないのにまさか他人を道連れにするなんて

なんて奇跡的なんでしょう!

この番組はその点にも言及していて、

一人、素性を偽って仲間に入っていた人間が「正体」をカミングアウトしてしまうシーンが

あったのですが、「偽ってでも入りたい仲間」これは考えさせられるところがありました。

突然インターネットの話になりますが、

インターネットの登場は確実に私たちの知のあり方を変え、

それはウィキペディアに象徴されるような、

あらゆる知識を参照可能にし得た革命でした。

しかしながら、いままで図書館に行って何冊も繙かなければ

辿り着けなかった知というのが、検索ワードを数個放り込むだけで

見つかるものになって、果たして我々の見識は広まったと言えるのか?

……これに関して、前のエントリで書いた、

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』の中で

当のアンダーソン自身が答えていたのですが、

(情報などの)ネットワークが強化され、情報のスピードがますます加速している状況において、

むしろネットワークを断ち切るような自閉したコミュニティが生まれているのでは…?

みたいな質問に対し、彼は

「現代の技術によって、物の見方が狭くなるという現象が、はっきりとあらわれてきている」と

返事しています。ついでに、

 昔はテレビ番組で、ヒットチャートの10から1位というのしかなかったけれども、

いまではジャズのチャート、ヘビメタのトップ10…というように細分化されている、

要は自分の好きなジャンルだけ選んで聞いたらいいよ今の時代。みたいな例を挙げられていました。

確かに、音楽といえばミュージックステーションのCDヒットランキングしか知らなかった

学生の頃の自分でしたが、いまでは専らメタルとか、狭いジャンルの音楽しか聞きません。

インターネットで検索すれば、いくらでも自分好みの音楽が出てくるし、

わざわざ興味のないチャートを網羅する必要はないからです。

選択可能性が拡がった分、人間はより狭い選択肢しか選ばなくなるというアイロニー

で、わざわざ回り道をして何を言いたいのかというと、

インターネットの登場は人間相互の情報の共有よりむしろ、

それまでぼんやりとしていた個々人の違い、を先鋭的に浮きだたせてしまったということです。

前に、ミクシィなんかで、プロフィールやら嗜好が一致する人がマイミクになる

奇跡のマイミク」ていうのが流行りましたが、

それだけ、自分と好みが一致するというのは稀なことであり、

またそれを渇望してしまう、ていう人間の性だったのでしょうか。

それだけ、個々人がそれぞれ、「狭い」好きなことの領分に埋没していく中で、

あれだけ熱狂的に一つの目的に没頭する「をたく」の「集団」が存在し得たのは

本当に凄いことだと思いました。

あんなに一点の曇りもなく「好き」な人らが何人も集まるというのは

まさに奇跡ではあるまいか?

……うーん。自分も「愛知ヨーク研究会」を立ち上げる時がきたか。

これなら一点の曇りもなく好きなことだけれども、果たして何人賛同してくれるひとが

集まることやら。