RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る

平野啓一郎氏の『決壊』でもちらっと出てきた

「グローバリゼーション」という概念ですが、

先日更新されたブログのなかで

「90年代後半のグローバリゼーション以後、地球の「一個性」という身も蓋もない事実が問題となるという話を書きましたが、「大きな物語」ではなく、「大きなシステム」によって一個化してゆく世界…」

と取り上げられていました。

まだ読んでいる途中なのですが、そんな「グローバリゼーション」について書かれた

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』

「グローバリゼーション」研究の第一人者であるベネディクト・アンダーソン氏の

講演録なんですが、興味深く読んでいます。

研究の要旨そのものよりちょっとしたエピソードが印象に残っているんですが、

あの、国と国の間にある海底ケーブル(実際に見たことはないけど)、

1800年代に主要なラインができてたなんてビックリです。

上のは「出版資本主義」というくだりで出てきたんですが、

このへんの話は私も単純に納得できるものでした。

要は、新聞とかが出てきた時代、たくさん売らなきゃ儲からないけれでも、

でも地方によって言葉がばらばらだと京都弁専用とか関西弁専用の新聞とか、

非常に商圏が限られるわけで、

そのとき「標準語」ていうので全国の言葉を統一することによって

北海道から沖縄まで同じ新聞を販売することが可能になったわけです。

で、結局のところ「言葉(標準語)」が通用する範囲がいわゆるネーション(国民国家)の

境界になったというのはわかりやすく頷ける話でした。

私が思うに、

貿易の発展は経済の連携をもたらしたし、

通信インフラの整備が情報の共有を可能にし、

同時に異文化間の交流が発展したんだけれども、

言葉の違いという単純な障壁、

それに物理的な距離(懸隔)というのは

素朴にして最後まで克服できなかった問題だということです。

なんでそんなことを言い出すのかというと、

先般飲み屋で

                   

遠距離恋愛」の話題になり、その困難さに考えさせられるところがあったからです。

言葉の問題はさて措き、

Eメールと携帯電話の登場は、確かに遠距離コミュニケーションに

革命的な利便性をもたらしたんですが、

だからといってやっぱり片道車でウン時間もかかるところに相手が住んでいるという

その事実は相当にしんどいわけで、

それが何かの役に立つものではたぶん決してなく、

ただ疲れるだけのものでしかありません。

近いということは無条件によいことで、

「遠くの親戚より近くの他人」という格言はやっぱりそうなのかなあ。とも

考えたりもしたんですが、

電車があり、新幹線があり、

飛行機で数時間も乗れば海外に行けても、

私らの感覚はそれにまだ追いつくほど広がりを見せていないのが現実かもしれません。

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