研修で、学校の新任先生たちとの交流がありました。
出席者はそれぞれ、ことしの仕事(「実践」と呼ぶ)を持ち寄って
あんなことをしたこんなことをした、と発表し合うものです。
……学校の先生の発表といえば、
正直あまりいい思い出はありません。
内部をよく知る者からすれば、種々の研究会で行われる発表は、
持ち回りであったり予め担当校が決まっていたり何か別の目的があったりで
どちらかというと「イヤイヤ」やらされている場合が多いです。
「こんな成果が出たから発表したい!」と自ら立候補して研究発表しているのは、
市町村単位の研究会なんかではあまりないのではあるまいか?
……で、仕方なく研究発表を引き受けてしまった場合、
困った暗黙のルールがあってそれは、
「行った取り組みは必ず成功しなければならない」
……というものです。
これのせいで、随分と苦労したこともあります。
失敗であったり正直納得のいかない結果であっても、
「こんな成果を上げました」
…と多少誇張してでも成果を述べなければなりません。
なぜ
「~~な取り組みをしました。でも、思うような成果が上がりませんでした」
という発表をしてはいけないのか?
……そりゃそんな発表を聴かされたら確かに滅入るけど……
でも、「子どもの顔が変わりました」なんて曖昧で漠然とした成果を披露されるより
僕は失敗でもいいから正直な報告を聴きたいです。
(「生徒に積極性がみられるようになりました」的な客観性に欠ける報告より、「テストのクラス平均が90点
を超えました」あるいは「テストの平均はほとんど変化がみられませんでした」でも…」
本当に成功した例だけを発表したいなら義務的な当番制はやめるべきだし
(発表に当たった年は必ず目覚ましい成果が上がる取り組みができる、なんてことが有り得るのか?)
年間山ほどある研究発表の数が減らせないのなら、
せめて「失敗したのもアリ」にしてほしいです。
本音を言えば、これだけ身の回りにに大々的な成果を上げた研究発表が溢れていると
「何か特別なことをしないといけないんじゃないか」と思い込む人(あるいは組織)も出てきて、
それは良くないことだと思います。
なぜなら、「特別なこと」をする前に、
「普通のこと」をすることは本当に難しいからです。
学校の先生で言えば、
一年間無事に子どもを「預かり」、校務分掌を「最低限」こなす……
これがたとえば「普通のこと」ですが、
やってみればどれだけ難しいことかかわかります。
そして、それができる人(あるいは組織)を僕は尊敬します。
今日のはその点、自分も含めてみんな新人なので、失敗もアリの
素直な報告ばかりでした。
しかしながらみなさん、本当に現場で苦労されているようで同情します。
無理しないでがんばってください。