雨が降り続いて外出もままならない年末です。
まあ、ゆっくり本を読む時間ができて何より。
しかし、昨日今日の重たい空は、
田舎で過ごした冬を思い出させます。
いま住んでいる大阪に比べ、
日本海側の地方の冬の日照時間の少なさは明らかです。
それが自分の故郷。
まさにそんなどんよりとした空と付き合わなければいけません。冬は。
岐阜ではまだ蒼空が見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原、長浜は薄曇、
幽に日が射して、寒さが身に染みると思ったが、柳ヶ瀬では雨、汽車の窓が暗くなるに
従うて、白いものがちらちら交って来た。(『高野聖』冒頭より)
↑出てくる地名が懐かしいものばかり。
さて、いま読んでいる平野啓一郎『ディアローグ』のなかで、
映画監督の青山真治氏との対談があります。
互いの故郷北九州市について触れられていて、ノスタルジーが混ざった
アンビバレントな感情であるとかのやりとりが交わされていました。
さて、それを読みながら考えたのは、
まあ大阪がそれほど陽光が降り注ぐ場所という形容はあたらないかもしれませんが、
一応温暖な地域として、、
そういうとこと、
比較して、暗く重たい空が支配するとこと、、
これらの気象条件は
そこに住む人々の人格形成に微妙な影響を及ぼすものではあるまいか?
ということです。
よく「県民性」とか雑駁な喩えだよなあ、とか感じつつも、
案外的を射ているのかもしれません。
ところで、年末年始は大荒れだとか。
やっぱりお出かけもできないのは損した気分になりますね。