RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

過重労働について考える(2)メンタルの危機

前のブログで労働時間の長さというのを愚痴交じりに書いていました。

もちろん、いくら会社に拘束される時間が長くても、それを真っ当なものと

受け止められるか、そうでないかはその人の置かれた環境次第です。

やり甲斐、達成感といったものが与えられて、いわゆる自己効力感※

(self-esteem)が満たされる場所ならば、傍目にはどんな劣悪な労働条件に

見えても、本人にとっては十分に満足なところに違いありません。

※自己効力感とは、「自己に対する有能感・信頼感」のことを言う。

逆もまた然りで、自己「無効力」感というのも学習されるものではあるまいか……?

「自分は穴を掘る、それを埋められる、穴を掘る、埋められる……」

というのを延々繰り返すと、人は発狂するというのをどこかで読んだ覚えがありますが

(有名な話です)、人は意味のない労働はできないという寓話です。

対価として然るべき評価を貰えてこそ成立するのが労働、その反証ともいうべき話。

日本でも、「賽の河原」※2のように、そっくりな言い伝えがあります。

※2親に先立った子どもは、三途の川の賽の河原で石積みをしなければならない。

 せっかく積んでもやってきた鬼にそれを壊され、また最初からやり直さなければならない

 ……といった罰。

そうした無力感は、仕事の度重なる失敗あるいは不当な評価によって

学習されていくものでしょう。しばしば「高学歴の人間が現実の仕事に耐えきれず

早期退社する」という話を耳にします。

いわゆる受験制度というのは様々な欠陥もありつつも、基本的には平等が保証され、

真っ当な評価が期待できる代物。ただ、実際の社会はそうではなく、理不尽なことに

満ち溢れている……というのは改めて書くまでもありません。

いろいろな業界の苦労話を見聞きするにつけ、とくにサービス業に従事している

人には同情する部分が大きいです。さすが相手は生身の人間だけに、個々人の

努力ではどうにもしがたい部分があり……

周囲の理不尽なことを「他人のせい」として自分と切り離し、開き直る思考様式が

必要なのかもしれません。不真面目そのものですが。

そうした無責任さは、実は自分のために非常に真っ当で健康的なのか……