RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

多様にして実験的手法

平野啓一郎氏のブログ更新 いつも楽しみにしています。

http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20061007/1160238831

『新潮』での新連載の案内と、短編小説集『高瀬川』の文庫化のお知らせです。

さて、わたしは仕事柄子ども向けの教材、ワークシートをたびたび作成するという話から。

学校の授業では教科書はもちろんのこと、補助教材として教師自作のプリントを使用する

ことは普通にあります。ただ、この自作プリントというのがなかなかに曲者で……。

教材づくり専門にやってる人間でなく、先生が授業の片手間に自作するだけに、

どうしても市販の教材に見劣りしがちです。

体裁云々でなく、中身が大切やろという声も聞こえてきそうですが、プリントの内容が

どうのこうのという話になると、自分もロクな内容のものをつくっていませんので措いときます。

わたしは、ただ、先生がおそらくがんばったんだろうけど、でも不体裁な自作プリントを

目にするにつけ、「惜しいなあ……」とため息が出ます。

いくら深まりのある学習ができるものでも、素人目に見てやっぱり不親切なのです。

で、最初の『高瀬川』の話。

短編集ですが、どの物語も一読してなかなかに難解な印象で、

核心に手が届くにはまだしばらくかかりそうです。

しかし、この作品集を読んで心に残ったのは、その大胆な実験的手法です。

まあ一般的に、本を開けばびっしり文章が並んでいるのが小説ですが、

見開き頁一面に文字が散らばった『追憶』、

二人の登場人物の物語が上段と下段で並列的に進行する『氷塊』。

一度この本を手にとってご覧になられたら、誰もがちょっと驚くと思う頁の構成です。

『氷塊』で、二人の物語が交錯する瞬間に段組が外れる場面なんかはおもわず

「やられた」と嘆息してしまいました。計算ずくの仕掛けというか、いつもの小説の中にも

いろいろ仕込まれていることでしょうが(いつもそれに気づかないまま読み過ごすのですが)、

この仕掛けは視覚的に衝撃的ですらありました。

『追憶』の言葉の断片の正体が、最後に明かされたときもまた衝撃的。結末に至るまでの、

不安を催すほどの余白の連続が否応なく読者の想像力を呼び覚ますものなんですわ。

そういえばデビュー作『日蝕』も、クライマックスの場面が文体とかレトリックでなく、

頁を捲って目に映った「映像」がなんとも迫力がありました

(最後のとこで日蝕したときの「……」がずっと続くやつ)。

平野氏は、紙面のヴィジュアル的な要素にまで計算を巡らせているんだなあと改めて

思いました。『高瀬川』かなり冒険しています。

ところで、マンガの場合は絵がついてますから、視覚的にはいくらでも効果を工夫することが

できます(この話はまた今度)。『日蝕』を読んで連想してしまったのが、

名作『聖闘士星矢』でゴールドセイントのシャカが最大奥義「天舞宝輪」を放った時の描写。

その時、作者の車田正美氏は「見開き全面真っ白」というトンでもない表現をしたのですが、

「落丁ちゃうん?」と勘違いした人もいたとか。でもこれ凄いですよね。

小説は字ばっかり。でも、見た目でもいろんな実験ができるんだなあと考えた晩でした。