http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20060922
新潮11月号から、平野啓一郎さんの長編「決壊」連載開始とのこと、楽しみですね。
いつも氏のブログを楽しみにしている私ですが、トラックバックを寄せられる方々も、
さすがの識見をお持ちで、大変興味深く拝読しています。
カタカナ表記のことでここ2回ほど意見が交わされていますが、
そういえば私もいま、1年生を相手にカタカナを教えている真っ最中。
これはタイムリーな話題…。
昨日「マミムメモ」を授業で教えました。
子どもは習った言葉をすぐに使いたがるのか、ひらがなで書くべきことも
覚えたてのカタカナで書こうとするので、なんか文章が昔の尋常小学校の
教科書のようになってきて変。「サイタ サイタ サクラガ サイタ」
「外国の言葉をカタカナで書くんや。『アメリカ』とか、『レッドバロン』とか!」
「日本の言葉はひらがなで書きなさい。『クレヨンシンチャン』じゃなくて
『クレヨンしんちゃん』や!」という、しょうもないやりとりがなされています。
……外国の言葉だけカタカナで書く、という説明は間違っていますが……。
「ball」を「ボオル」と書いた子がいて、なんか古風な風情を感じたのですが、
Wikipediaにも「ただし、お段の仮名の長音の場合には、おのかわりにうを後続させる
例:こうしん(コーシン/更新)」といった説明がなされているように、
「ball」は「ボール」、あるいはボーリング場の「○○ボウル」の名称のように、
少なくとも「ボウル」でないとな……。
「バイオリン」じゃなくて「ヴァイオリン」と説明したかったのですが、
「ヴ」と「ァ」の音がテキストに載ってなかったので、教えられませんでした。
平野氏のブログで、「中国では、外来語の漢字化がすべての言葉について
行われていて、『電脳』もそうじゃないでしょうか? 日本は結局、漢字文化は、
中国から輸入するしかないんですかね。。。」というくだりがありました。
日本人は昔、蒸気機関の輸入に合わせて「汽」なんて漢字を作ったり、
結構柔軟に外国語を取り込んでいたと思うのですが、いまではカタカナ語が
横溢するようになった感があります(とくにコンピュータ関係のジャンルで)。
私は、外来語を安易に漢字に変換しないのは、なんとなく元の言葉に対する
敬意なんかもあるのかなあ、と考えていたのですが、表意文字である
漢字の便利さも見直して、誰かわかりやすい訳語を作ってください。
(もっとも、「言葉の輸入者が不特定多数になった(上記ブログより)」現代では、
難しい作業だと思いますが……)