サッカー選手の形容の仕方はいろいろあるが、
日本代表の某選手、なぜかいつもどの媒体でも
「泥臭い」と表現されている。
無論、「泥臭くゴールを決める」等、好意的な文脈で
用いられてはいるが、個々のプレイのみならず
今やキャラクターそのものの表現になっている。
僕はサッカーの詳しいことはわからないが、
某選手のプレイには確かに
くちゃくちゃのもみ合いのなかから無理やりゴオル。という
「泥臭い」スタイルがないこともないが、
中には華麗な技を披露したり、あるいは隙を突いた鮮やかなゴール。と
表現してもおかしくない場面が多々あるように思う。
一方、女性からの人気も高い某選手、
こちらは守備的なポジションなのでそれこそ体を張って相手を止めたりする
「泥臭い」プレイを多々要求され、実際にがんばっておられるのだが
なぜかあまり「泥臭い」と表現されることはない。
僕も子供ではないのでこの問題に対して
「なぜであろうか?」等と皮肉めいた疑問をいちいち提示はしない。
ただ、フィクションではないのだから、
ある人間を類型的なキャラクターとして仕立てようとする試みには
僕はあまり賛同できない。
確かに、「○○=泥臭い」みたいな感じでレッテル貼りをすれば
彼の行動の解釈が飛躍的に容易になる。
が、ここで常々言っているように、僕は
人間はひとつの形容が全人格に当てはまるほど単純なものではないと思うし、
何かのキャッチフレーズひとつで彼の行動全てを評価してしまうことは
暴力的ですらあると思うのである。
昨日はまたまたイオン洛南に参上。
「こどもビンゴ大会」に参加したら、ななななんと数十名の参加者の中で
豚児が一番にビンゴ。
確かにスタート時点からお。調子いいかも。と幸先は良かったが、
これが空いたら一番だよな。はは。という数字が
本当にコールされてびっくりした。
あまりギャンブルで成功体験を作るのもよくない気がするが・・・