RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

子育て支援

うーん。

実際に子育てをしている男性なら感じているだろうし、

感じていなければたぶん単独での子育てを強いられる状況に

ないのだと思うけれども、

父親が子育てをする。と聞いて

どれぐらいの人が明確かつ実際的なイメージをできるのだろうか?

画像

例えば、上は高槻市の広報誌(広報たかつき10月25日号)に

実際にあったページだけれども、

「つどいの広場が新設」というコーナーで

「親子が集い楽しく交流」という見出しがあり、側には

母子3組が和やかに談笑し合う写真が掲載されている。

以下、引用であるが

「保育士や子育て経験があるスタッフに子育て相談ができ

たり、安心して子どもを遊ばながら保護者同士でお互いの

悩みを共有したり、情報交換ができます。また講座や催しが行われ、

育児の知識を得たり、楽しく子育てを行う工夫などを学ぶことができます」

…とあって、実に魅力的な施設、ぜひ僕も利用したい。

とは思わなかった。

ママ達が集う中、僕みたいなおっさんがふらふら訪ねていって

まあ豚児を連れているから玄関で止められることはないと思うが、

広場内に入っても正直僕は落ち着かない。

僕の性格かもしれないが、たまたま居合わせた他のママと

「いやあ3歳児の世話は焼けますねえ」と悩みを共有したり、

「聖天使幼稚園はリトミックに力を入れているらしいですよ」等と

情報交換をしたりする自分がどうしても想像できない。

じゃあ他におっさんがいれば交流ができるのかというと

そうでもなく、

おっさん達が集まって子どもを遊ばせている。という図には

違和感をもたずにはいられない。

そんな恥ずかしいならママと一緒に来いよ。

と言う人もいるかもしれないが、

妻は調子が悪くオレ独りで豚児の面倒を見ているんです

悪かったか。ケッ。と悪態の一つも吐いてしまうものだ。

「毎日親子が集い、子どもたちが生き生きと遊んでいます」

(上記広報紙より)

らしいが、親子のうちパパ単独で訪れている割合ってどれくらいだろう?

そもそも、引用した高槻市の広報紙だって

ママたちの写真を見た時の印象はふーん。ぐらいのものだったが、

「子育ての父親は孤高である」というご指摘をいただいて

僕もふと考え直したのである。

この写真がおっさんたちと子。という写真だったら

僕は何らかの恣意的な操作を直感せずにはいられなかっただろう。

別に僕は、

ママさんたちと仲良くなる場を提供してくれ、とか

おっさんの参加率を高めてくれ、とか

身勝手な要望を行政にしているのではなく、

男性は子育てに関しては孤高にならざるを得ない

と、詠嘆しているのである。

男性の子育て参加を緩やかに排斥する構造があるのであって、

(というか、そもそも「参加」という言葉そのものが

 副次的な責任発生ということを象徴している)

これはたぶん男性自身の責任であるのだけれども、

子育てについて

主:ママ・従:パパという図式から、

主:ママ・パパであり、

主:パパ。と単独で子育て主体となり得る仕組みに

変えていかなアカンとこら真剣に思うのである。

最近「イクメン」って流行ってるじゃん、それだろ?

と助言してくれる人もいるかもしれないが、

まあ一過性の雰囲気でありジャンルとしては確立されないだろう、

という見通しが一つと、

「子どもにサーフィンを教えてるんですよ」等と、

ちょっと僕と違ってカッコいいし、なんか娯楽的な要素が強く、

生活感があまり感じられないのであって、

例えば今日の僕の、

「雨でやることがない。そうだ皮膚科に行かないと。でも豚児が

 ぎゃあぎゃあ喚いている。妻も調子が悪い。そうだバスで気を引こう。

 うわっ雨の中皮膚科に辿り着いたけど30分待ちだ。どうしよう。

 ほらまた泣き出したあっすみません。こら豚児、謝れ。

 えっおしっこ?ほらだからちゃんとさっき行っとけって言っただろ。

 えはいはい大野です。ほら呼ばれたじゃないか、あとにしろ」

みたいな、ぐずぐずな実際は含意していないと思われるのである。

だから僕は、これからも孤高であり続けるけれども、

これからの時代のパパ像を提示するために明日も豚児の面倒を見よう。