功利主義的な価値判断が最善とは思えないけれども、
現実的には功利主義を選択せざるを得ない場面が殆どである。
さて、最近は国際関係もややこしく菅総理大臣も忙しいのだろう、
テレビとかでもめっきりお見かけしなくなったが
この人がマニフェストとか国会で述べていた
「最小不幸」というのはいままでの政治家らしくなくて、
良い。
理屈の上では「最大幸福」と同意なんだけれども、
実際問題、各人にとっての「幸福」というのはまちまちで、
これを全国民的に最大化しようというのはなかなか難しいものである。
例えば、僕はオリックスファンなので、
「大阪の高校出身の有力選手は優先的にオリックスに入る」
みたいな政策が実行されたら大喜び、幸福度はぐんと上がるが
総体的に見ると
「えーそんなのずるいー」
と、みんなの幸福度は下がる訳である。
逆に、大阪は阪神ファンが多いからと言って
オリックスが素晴らしい試合をし、阪神の試合がなかった翌日でも
スポーツ新聞各紙は
「きょう天王山だ 阪神」みたいな見出しが一面だったりする。
大阪全体で幸福度は上がっているかもしれないが、
僕は泣いている。
横浜も楽天も同じように扱う場合よりも
結果として大阪の幸福度が最大化されているのだから
功利主義的には最適解が導かれている。
「最大幸福」である。
しかし、繰り返すが「幸福」の中身は千差万別なのである。
僕は煙草税は200でも300%でも一向に構わないが、
大好きな嗜好品を取り上げられて泣いている人もいる。
「新快速が高槻に停車するの、やめます」と言われたら、
急いでいる人は大歓迎だが僕は泣く。
そんな不確かな「幸福」に比べ、「不幸」は分かりやすい。
痛いこと、苦しいこと、悲しいこと、死ぬこと。
である。
しかしながら、「最小不幸」というフレーズに対して
なんか後ろ向き。みたいに捉える人が多いのが分かるように、
人間誰しも不幸と対峙するより幸福に向かう仕事がしたいものだ。
料理はするが片付けは面倒だ。
ゴミは集めるより出す側になりたい。
子育てはするが介護はしたくない。
マラソンが趣味だが新聞配達なんてしたことがない。
ジムに通うのは車だが、ジムの中では運動をする。
ルーティンワークは飽き飽きだが、企画業務は大好きだ。
……当然である。
放っといても幸福は自ら追い求めるが、
不幸の解決はなかなかしようとしないのが人間である。
政治家の人も人間なのだから、
「みんなが幸福になる方法を考える」ことはたぶん楽しいことだろう。
でも
「みんなを不幸から救う方法を考える」ことはつまらないし面倒で
暗い作業だけど、誰もしないからこそやってほしい。
と思うのである。
僕はとりあえず、自分は幸福であるよりも、
不幸でなければそれでいいと思うね。