RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

ITパスポート試験本番

元はと言えば本社の偉い人たちのせいで、

僕をヒラ社員だと見くびって散々な扱いをするからだ。

もちろんヒラ社員だしコピー取りぐらいしか

仕事をしていないのは悔しいが認める。

ただ、僕だけ仕事用のパソコンが貰えなかったり

データベースにアクセスする権限がなかったり、

これらは不当に差別的な扱いではあるまいか?

アムネスティに電話したが取り合って貰えなかった。

「一般職の人はちょっと」

かくなるうえは自力救済しかない。

そう決心して駆け込んだのが

国家資格「ITパスポート」試験である。

巷間の民間資格とは違い、

こちらは日本国のお墨付きの資格である。

これを取得することによって僕は、

アナーキーアンダーグラウンドな総務課に

日出ずる国の威光を普く照らし出すのである。

勉強を始めたのが一ヶ月前。

毎晩DSと格闘して早くも今日の本番を迎えた。

試験会場は関西大学

ちょうど10年ぶりに坂を上った。

10年前は何をしにきたかというと、

家庭裁判所調査官補の試験を受けに来ていたのだった。

あの頃紅顔の美少年だった僕もいまや

30のおっさんである。

周囲を見ても、10年前の僕のような学生が

わいわいがやがやしている。

ITパスポートの試験は昔の初級シスアドのようなもので、

受験するのは大半が学生のようだ。

履歴書をデコレイトする目的だろうが、

僕には国家の威信がかかっている。

まだまだ若いモンには負けられない。

ここで受けた家裁調査官補は合格したんだ。

縁起のいい場所である。

試験時間は2時間45分とやたら長いが、

計算問題も含め100問もあるので気が抜けない。

開始の合図とともに猛然とマークを始めた。

思いの外、簡単に見える。

今回は過去の問題と比較しても

難易度は低い方ではあるまいか?

しかし、「簡単そうに見える」というのが

この試験のワナで、

実際に中学生程度でできる計算が多いのだけれども

時々「ひっかけ」的な陥穽が潜んでいるのである。

ただ、大体は素直に解けば事が済む問題なので、

疑い過ぎもよくない。

僕はFPの試験勉強で随分と懐疑する癖がついてしまい、

簡単な問題を「いやいやコレはこんな簡単な筈がない」

と逡巡し倍の時間がかかってしまうことがよくある。

今回もその悪い癖が顔を出し、

後半の問題を解くのに時間が足りなくなってしまった。

おまけに、

情けないことだが

165分という時間じっとしていることが普段ない僕は、

途中、ヤボ用に行きたくなってしまった。

小学生の時、

「授業中トイレに行きたくなったら先生に言いなさい」

と担任に言われたことを思い出した。

全国津々浦々の小学校で諭されているだろう、

あれはなかなかに深い言葉である。

・正直の大切さ

・生理現象の最優先

・恥を忍んで申し出る勇気

・忍耐と寛容

これらを担任と児童という関係性において

学ばせてくれたのであった。

これも先生への深い信頼があってこその教育である。

僕はヒデ子先生の箴言を脳裏に映しながら、

黙って手を挙げた。恥を忍んで。

「なんですか」

「あのう、ちょっと小用を催しまして」

「は?」

「ですから、雪隠、いやご不浄に」

「もう一度お願いします」

「いや、一度でいいですからトイレに行かせてください」

「そうですか。じゃああちらへどうぞ」

計算に夢中で気がつかなかったが、

実は結構同輩がいるもので、

僕がはばかりに行っている間も

3人ほどフォロワーが現れた。

ここで厳しく優しかったヒデ子先生の言葉が甦る。

「連れションはいけません」

最初に申し出た僕はリーダー、

生理現象に耐えかねて恥を忍び正直に申し出、

その見返りとして深い寛容の下に一時退室を許されたのである。

しかし、フォロワーの連中ときたら、

「うう。さっき十六茶を飲み過ぎたなあ。ヤバいなあ。

 あっあのヒラ社員風の男が出てった。オレもこれに便乗して

 『ちょっとすいませーん』」

と、なんとも卑怯なことである。

僕とフォロワーは手続き上同じ事をしているようだが、

行動のもつ意味は全く異なる。

僕の行いがワシントンの桜の木に比肩する

崇高な行為とすれば、

フォロワーのしたことは

ユダに匹敵する裏切りである。

何もない状態から最初に声を上げる、

というのは

二番目三番目以降に同じ事を言うのとは訳が違う。

白熱電球を最初に発明したのは小学生でも

エジソン」と答えるだろうが、

じゃあ二番目に作ったのは?

と聞くとたぶん誰も答えられない。

恐らく松下か東芝といったメーカーの社員だろう。

つまり彼我の差は

エジソンと無名ヒラ社員との差なのである。

ヒデ子先生は、

「ヒラ社員でなく、エジソンであれ」

という倫理を幼い僕に教えたのだった。

その僕はいま、ヒラ社員だけれども。

でも僕はこの崇高な教えを守り、

ヒラ社員からエジソンとなって国家と

白熱電球の光が後光と射す日まで頑張ろう。

合格発表は来月である。