土曜日に豚児の通う保育園の生活発表会が催され、
豚児も「小鳥」役で出演予定。うーん楽しみだね。
連日保育園では猛練習に励んでいるとか。
さてこの前、侍戦隊シンケンジャーが最終回。を迎えたんだけれども、
この番組は、ひさしぶりに子ども向け番組を観た
(たまたまではなく、毎週のプログラムとして)
僕にとっていろいろな示唆を与えるものでした。
一つは、以前にも書いたように、
「悪い奴が現る→なんとか倒す→巨大化する→合体して倒す」
みたいな紋切り型のストーリーに
なぜ人間(日本人特有かもしれませんが)はハマるのか。
もう一つは、「子どもたちの夢」を具現するヒーロー、
を標榜する戦隊モノの、その「夢」とは何か。ということでした。
この二つは緩やかに連関していると思うのですが……、
「夢」というのは僕は今まで少し勘違いをしていましたが、
イケメンだったり変身したり凄い技を繰り出したりすることが
「夢」ではなかったのでした。
身も蓋もなくいえば、「努力→勝利」というシンプルな欲求、つまり
「(正しい、正義の)努力が報われる」という根源的な欲望が満たされるときに
たぶん人間はカタルシスを感じずにはいられないのだろう。というのを
シンケンジャーを観ながら感じていました。
彼らは策略を巡らせたり狡知に長けた戦術をもって外道衆を陥れるのではなく、
あくまでも正々堂々、正面からナナシ連中にぶつかっていくし、
バトルスタイルも相手より格段に強い武器は使用しないクリーンファイトで、
合体してモウギュウダイオーになるのも相手が巨大化するのを待ってから。
当然、簡単には外道衆はやっつけられないけど、
努力、そしてそこにメンバーの結束すなわち友情が加わって、勝利に至る。
お気づきの人もいるかもしれませんが、これらのキーワードはあの
『週刊少年ジャンプ』の3大テーマを成します。
実際、会社なんかで正論ばっか言ってても相手にされないし、
思いを形にしようと思ったら各方面の根回しとか、
泥臭い作業を経なければならなかったりもします。
また、「努力は報われる」とはいうものの、
実生活上では試験当日に風邪をひいたりすることや
「いっやーやっぱ窓口はルックスも要るから」みたいな理由で
面接に落ちたり、とかく不合理が罷り通る現実にあって、
少なくともシンケンジャー達は努力し、外道衆に勝利を収める、
というのはみんなが渇望してやまない夢そのものに思えました。
寿司屋だった源太は努力して侍になり、
影武者でしかなかった丈瑠は、それまでの努力があったからこそ
本物の殿になれたのであって、
これを毎週観て僕は、
「オレもちょっと努力しようかな」という気になりました。
だから、来年受けようと思っていたFPの試験、やっぱり
5月に受けることにします。がんばります。