何の因果か一般職の渡世に身を窶し、
「えっ。でもまあ共働きでしょ」と慰められる程の禄を食んでいる僕ですが、
それでもそんな半端者でも
日々暮らさせてもらっている事実は感謝せなあかんと思う。思いますね。
「鉄の女」マーガレット・サッチャー氏が何かの対談で言った
「求めるのではなく、与える人生であれ」というのは座右の銘、というのは
ちょっと嘘、偶々思い出しただけだけれども、
「給金が足りん。友達がいない。才能がない」とか浅ましく嘆く前に、
自分に何ができるかを考えなあかんね。
思えばこの30年来、前者と後者の比率が極端に偏っていたけれども、
僕も今月で30歳、年齢だけは雑巾掛けをそろそろ卒業する頃になったのだから、
後者の比率を上げていかんと、と思う。
そう決意したからという訳でもないけど、普段は人にさせて
自分は滅多に残業しない僕が日が暮れるまで残って売掛金の回収にあたった。
結局回収できんかったけども。
「あのお、マジ手形、不渡りっスよ。そうなったらお仕舞いですヨオ」
「いっやー。持ち合わせがなくてねえ。また月か火には来るわ」
そんな残念な僕だったけれども、昨日は、
二十代の多くを過ごした街で知遇を得た人たちから誘いを貰って、
ちゅらちゅら出かけてきました。
いろいろあったけれどもいまにして思うとあの街は夢のような場所で、
定食屋の中華とか新幹線と私鉄が併行している珍しい光景とか、
いろんなことが思い出されるのですが、
とりわけそこで出会った人たちは何物をもっても代えがたいものでした。
そんな人たちも、もちろん苦労はそれぞれにあるものの、
日々生きることについて真っ直ぐであり、身も蓋もなく言えば
「がんばってるなあ」と思うのでした。
ビンゴ大会でもらった(与えられてばっかりだ)、
500系のぞみ型バームクーヘンの裏に
「時速300kmの感動をありがとう」と書いてありましたが、
やっぱり生きて死ぬからには、
「○○が欲しかった」と言って息絶えるより、
「○○をありがとう」と言われて見送られる方が絶対いいに決まっていますね。