「豚児ちゃんのエプロンはわかりやすくていいですわあ」と
保育園で褒められたオレ。嬉しいね。
ちゃあんと意図が伝わっていることが嬉しかったのです。
保育園では、日々の生活を送るための様々な持ち物が必要ですが、
僕はそれら全てを骸骨のモチーフで統一していて、
手伝いに来てくれた先生も、字の読めない豚児でも、一目で
「あの肋骨プリントのエプロン、豚児ちゃんの(あたしの)ね」
と分かるように工夫しているのです。
これは特別支援教育の基本中の基本ともいうべきことで、
あらゆる所持品はシンプルを追求したうえで、なおかつ
独自性と排他性を帯びてこそ子どもの理解を扶けるというものです。
複雑なシステムを要求するから子どもは混乱し、
そういう思考をする大人に限って一貫性のない人が多く、
勝手な都合で変えてしまったりいつの間にか綻んでしまうもの。
大人もひとつ、豚児と同じ地平に降り立ってから
何が子どもにとって大切か考えてみてはいかがでしょう。
で、もう一つうれしかったのは、あひる組への進級に伴い
所持品を新調したことを褒められたことなんですが、
これも僕にはちゃあんと意図がありました。
営業マン時代、さんざん世間で塾通いとかお受験とか過保護なんていう
言葉を耳にしていたので親というのは子どもにじゃんじゃん投資するもの、
と当初は思い込んでいたのですが、
全くの嘘でした。
全く、と言い切るのも自信があるからなんですが、
僕の見てきた大人の人たちはかなりの割合で(5割を超える)、
・体育の時間に着る体操服を1着しか持っていない
・サイズが合わない上靴を履かせる
・水着を買い換えないのでぱっつんぱっつん(+毛玉だらけ)
……という感じだったのでびっくりしました。
体操服で言うと、
「サッカーして汚れたので持って帰らせた。
次の日にも体育があったけれども体操服を持ってこなかったので叱った。
でも、親からは『持って帰らせる方が悪い。洗っても乾かないだろ』と
逆に文句を言われた」
というケースは枚挙に暇がなく、つまりこの人は次の日の体育も
ドロドロの体操服を着て参加すべし。と考えていたわけで、
でもこれが特殊な事例でなくむしろ
過半数の人たちにあてはまることなのが驚きなのです。
小学校低学年の定番、「ピアニカ」。
びっくりする人も中にはいるかもしれませんが、
使いまわしの小学校というのがけっこうあります。
まあ、口につけるホースの部分だけは自前なんですけれどもね。
不特定多数でピアニカを共用することによって、
当然のごとく本体には不特定多数の唾液が混ざり、発酵し、
独特の臭気を放っています。
だから僕は
「小学校ではねえ、みんなでピアニカを使ってるけど、あれ、汚いですよ。
自前のやつ、買ったらどうですか」とセールスしたら、
「営業マンの口車には乗らないよ。ヤ○ハの回しモンめ。ホースで十分」と
突慳貪な対応をされて、
今頃あの小学校のピアニカはさらに濃厚に熟成が進んでいるはずです。
「みんな家計が苦しいんじゃないか。所詮お前は何人の子どもを育ててるっていうんだい」
なんて反論をする人には、上記の人たちの持ち家マイカーDSウィー旅行のある暮らしぶりを
見学してきてもらいたいものです。
だから、僕はほんとにいまの子どもたちが過保護の下に育てられているのか
疑問で仕方がありません。
はっきり言うと僕は、そうやって子どものためでなく
自分の都合でしか消費をしない大人の人たちを軽蔑していましたから、
僕は毎月赤字を数万円計上する家計においても、
血の滲む思いで肋骨エプロンを新調したのです。
僕は自らのおやつ代を削り、
豚児の体操服は洗い替えのために二着買おうと思っています。
それが親のすべき仕事です。
保育園の先生にも伝わってうれしかったわん。