RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

春の珍事

不燃ゴミの日である。

早朝からソファを廃棄しに行った。

大阪に出てきて10年。梅田ロフトで購入して爾来、

苦楽、というかほとんど苦を共にしたソファだが、

ここにきてお役御免となった。10年間どうもありがとう。

ここのところ豚児の情緒が不安定で、

また朝に保育園に行くのを渋ったりしている。

が、昨日はなぜか喜んで、というか機嫌良く登園した。

伏線は昨日の晩にあって、

僕は「コミュニケーションが大切」といった言説があまり好きではなく、

「一番大事なのはコミュニケーション」といった主張には頷けないし

コミュニカティブであることを強要する風潮には賛同できないので、

あまり豚児とあれやこれや喋ったりすることはないし

豚児もそうだが、

昨晩は珍しく豚児の方から

「ほいくえんにあたらしいせんせいがきた」と報告、

「なまえおしえたろか。まつだいらゆりこせんせいてゆうんやで」

と、別に聞いてもいないのに保育園の話をしてきたのであった。

果たして翌日。

上機嫌で登園した豚児は母親とバイバイすることを渋ることもなく、

自ら教育実習生のまつだいらせんせいにひっつきに行った。

あまりこういう分け方はしたくないが、

クラスの中心と周縁があるとするならば

周縁に位置する豚児。が先生にベタベタひっつきに行く姿は

今まで見たことがなく、正直驚いた。

余程まつだいら先生が好きなのだろう。

まあ、慣れ慣れしい口を利かないようにさせなければならんが。

上でコミュニケーション強要。の問題に触れたが、

学校現場なんかでも

「コミュニケーション力を育てなければならない」

みたいなお題目をよく聞くのだけれども、

コミュニケーション「力(りょく、ちから)」の中身は一体何なのか

時々考えてみるがよく分からない。

プレゼンがバリバリのAくんはおそらく「力」があるのだろう。

舌先八寸で女性を手玉に取るBも、「力」認定だろう。

一日中携帯電話片手にメールを遣り取りできるCさんも、かなりの「力」だ。

反対に、

朴訥な喋り方で渋い演技の役者、D氏はやや「力」不足か。

イジめに黙って耐えているEちゃんは無力でしかない。

もちろん、僕も「力」非認定である。

コミュニケーション力が全人的に備わった社会。というのは

どういう状態であるのか僕には仔細に想像できないし、

それはもしかしたら結構、疲れる社会かもしれないけれども、

いくつかの学校ではコミュニケーション万能。状態を実現しているとも

聞くので一度視察してみたいと思っているのである。