RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

与える人間

雨だった。

朝、上着の裾が酷く濡れてしまい、ちびたいまま

一日を過ごす。という沈鬱な一日であった。

「Rさあん」

夕刻の駅に突っ立っていると出し抜けに声がかかる。

「やあ丸の内さん。ちょっとひさしぶり」

「こんなところで会うなんて珍しいですね」

「雨だしたまには電車に乗ることにしたんだ」

「なんか顔、暗い」

「朝、傘の守備範囲を超えて雨に降られたんだ」

「今日は一日中雨でしたもんね。これ食べて元気出してくださいよ」

「わわ。チョコレートじゃあん。今日はバレンタインだもんねえ

マジhampaなくうれしいねありがとう。」

「余ったから」

「僕は本命だと信じて疑わないよ」

「え」

軽口に一瞬、丸の内さんの顔が曇った。

「あいやいやいやいや。今日はやっぱあれかな、

(結婚予定の)ダンナさんにも手作りハンドメイドとか、技巧を凝らしたやつ、

渡したりするのかな」

「今日はーこれから梅田に伊勢海老を食べに行くんですー」

「エビ?」

予期しない返答に動揺した。

「バレンタインだから」

「へええ。すごいね。そんなgekimori高級食材にありつけるなんて

ダンナもさすがだよ。もう結婚式の準備もバッチリだよね」

「今日は下見も兼ねてるんですー」

「ああなるほど。準備に余念がないね。まあ、結婚っちゃあ

 僕の方が先輩だから、何でも聞いてくれたまえ」

「そうですねえ。結婚生活で大事なことって、なんですか」

「え」

まさか本当に聞かれると思ってなかったし、

しかも質問がえらく抽象的なので返答に窮した。

「んんん。やっぱり、『求める人間でなく与える人間。』であることかな」

「へえ」

実に月並みな一般論である。続けた。

「まあ、婚姻は一つの契機ではあるけれども、個人がその前後で

一変することは現実的にないし、根拠のない期待を抱かないことは

心構えとして必要だね。もし反論するなら、結婚と同棲はどう違うのか、

僕に論理立てて説明してほしい。要は、結婚前と後でも個人は

独立した一個の人間であることに違いはないし、

そこを自覚し尊重せねばならないっちゅうことだよ。

相手にどっぷり依存し・される関係がいいとは僕は思わない。

結婚前にあんなに素敵に見えたダンナがつまらなく思えてしまうのは、

一つにはダンナがあなたに何かを与えることを忘れたことと、

一つにはあなたがダンナに何かを求めるようになってしまうからだ。

相手に『何かをしてほしい』と求めるのはなく、

『何かを与えよう』という心の構えをもつだけで、結婚は全然違ったものに

なってくると思う。現時点の、あなたたちのように」

いつの間にか丸の内さんは姿を消していた。

梅田行きの準急がゆっくりとホームを後にしていた。

僕も伊勢海老を食べたくなった。