RoseEnNoir午前零時

ギタリストRose En Noirの日常身辺雑記

葬送 野辺送り

楽しいことばかり記せればいいけれど、

さすがにそうもいくまい。

先日祖母が亡くなって急遽滋賀の山奥に舞い戻り、

それから葬儀の準備から始末まで中途半端なままとりあえず

大阪に戻ってきました。

享年92歳、十分に天命を全うしてこれ以上何も望むことはないし、

ただ安らかに眠ってくれれば、と願うばかり。

幸せな人生だったかどうかは余人の容喙するところでは

ないのだろうけど、もっとも身近に生きた者の一人としては、

苦労の総合計よりも幸福の総合計が最終的に上回った、

そんな風に見えます。

13年前に脳梗塞の大発作が起きて以降は

日常生活にも支障を来し、本人もきっと辛かっただろうけれど、

最後に4年半過ごさせてもらったグループホームでの生活は

僕は詳らかには知らないけれど、そこで写して貰った写真の数々は

どれも笑顔で、それはまた自宅にいる時の表情とはまた違った

穏やかさであるように見えました。

散歩をしたり手すさびに工作をしたりする姿は、

それは豚児の通う保育園宛らで

僕は妻の実家に預けてきた豚児を思いながら、

また豚児が保育園に楽しく通う姿と祖母をだぶらせていました。

よく面倒を看てくださったグループホームの職員の方々には

感謝して止みません。

それにしても、山を駈け河を泳いだ山奥での生い立ちを

散々僕に語って聞かせた祖母はなるほど戦争を生き抜いただけあって

逞しく、心臓の持病があっても身体そのものはきわめて丈夫でした。

村の公民館の事務吏員をしていた頃のこともよく喋っていたのですが、

僕もまた会社の一般職に就いているのは宿縁でしょう。

けれども今年の正月に顔を見たとき、その衰弱ぶりに

次の正月はもう会えないだろう。と感じたのは悪いことにその通りになり、

でも呆気なくその時を迎えてしまったのはさすがに驚きました。

90年余りの生涯の中で、僕はそのうちの20数年を

一緒に暮らしたに過ぎないのだけれども、

共働きで家を空けていた両親に代わり

小学校の入学式に連れて行くくらい幼い

僕の世話を焼いたのが他ならぬ祖母だったし、

また祖母の面倒を最もよく看たのも恐らく僕だっただろうし、

自分にとっては最も近しい肉親の一人を亡くしてしまいました。

しかし、葬儀の恐るべき忙しさはそんな故人を偲ぶ間を与えず、

僕は氷雨の冷たさと荷物運びなんかの労役、

笑い事ですが正座が出来ないことによる痛み、

それらが多くを占める中とても心安らかに祖母を見送ったとは

言い難いものでした。

それでも、村中の人が弔問に来てくださり、

野辺送りの手伝いをしてくださったことには感謝の言葉もありません。

僕はまだ、疲労感の方が大きいですが、

心が落ち着いたときにゆっくりと祖母を思い出し、弔いをしたいと思います。